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日航123便の(366)

316 名前: 日航客乗組合の見解 1999/07/12(月) 05:17
連続事故の背景はモノ言えぬ職場だった

1977年クアラルンプールで事故が起きました。このときの機長は、
悪天候のなかで、最低安全高度を切って降下し続けました。そして山に
ぶつかったのです。運輸省やマスコミは、「なぜ副操縦士は機長にこれ以上
降りてはいけない、航空法違反ですと言えなかったのか」と批判しました。
私たちは、それを言えない体質がどこからきているのか、そこにメスを
入れない限り日本航空の事故はなくならない、ということを主張してきました。
マレーシア政府の最終報告は「ものを言える雰囲気がなかった」と、日航の
特殊な政策を指摘しました。
 その5年後に起きた「羽田沖事故」でもそうです。逆噴射で「機長が心身症」
などといわれ、「どうなっているのだ日本航空は」と問われました。あの事故の
背景には、ゆがんだ機長養成制度があったのです。日本航空の機長訓練は
1年7ヶ月という異常に長い期間で、他社の3倍くらいかけて副操縦士の
人間改造をする、思想をチェックする、そういう訓練になっていたのです。
乗員組合の方針にたいする考え方や、運航効率にたいする考え方、そんなことを
いつも監視して安全運航が二の次にされる、そういう特異な背景が日本航空に
あったのです。

※まあ、ここの意見も参考にはなるけど、イデオロギーも入っているからなあ。
※日航の内情については、山崎豊子が週刊新潮に連載し、最近、単行本が
出版され始めている『沈まぬ太陽』が詳しいよ。もうじき、JAL123便の
墜落の部分が出るはず。
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